「時代を駆ける:谷口ジロー」、『毎日新聞』1〜9Add Star




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時代を駆ける:谷口ジロー/1 欧州へ日本の日常漫画

 ◇JIRO TANIGUCHI

 普通の日本人の日常を描く、一見目立たない日本人漫画家が、その精密な絵とストーリーの独創性から欧州で人気を集めている。谷口ジローさん。64歳。古里鳥取を舞台に家族の葛藤と絆を描いた代表作「遥(はる)かな町へ」は最近10年間で仏、独、西のコンクールで最優秀賞を受賞した。「母国以上」(仏紙)と評される人気の秘密は何なのか。

 自分ではよく分かりません。例えば「遥かな町へ」は東京で働く48歳の主人公が、帰省中の鳥取で14歳当時の自分にタイムスリップし、青春を再体験する物語です。テーマは、あの時こうしておけばよかったという後悔、やり直したいという願望。独創性というより、人間の普遍的な要素が共感を得る場合が多いのかもしれません。昨年、この作品はベルギー人の監督が実写映画化しましたが、私が描きたかったことが上手に表現されていた。人間の感性は同じなのだと思いました。

 《技術的には、BD(フランスなどの漫画)の影響が背景とも考える》

 20代の頃、東京・銀座の洋書店でメビウスという仏漫画界の巨匠の作品を手にし、描写力に圧倒されました。日本の漫画が比較的省略化やデフォルメ(誇張)を多用し、コマのつながりもダイナミックなのに対し、欧州の漫画は静的で一つ一つの絵をじっくりと描き込みます。私は欧州の漫画の模写を繰り返したので、無意識にその影響が出ているかもしれません。

 また、私の漫画は普通の人の日常を描いた大人向けの作品が多いのですが、欧州にはそうした文学風の漫画を受け入れる文化があります。それが、ヒーロー物を中心とした少年、若者向けの漫画が主流の米国より、欧州で評価される理由なのかもしれません。

 《今年7月には、数々の作品が翻訳、出版された功績で、仏政府から芸術文化勲章が贈られた》

 昨年、一昨年とブリュッセル、パリでサイン会を開きましたが、小学校高学年ぐらいの子どもからお年寄りまで集まってくれました。日本での私の読者は20〜40代が中心なので、日本より幅広い層の人たちが読んでくれていると感じました。

聞き手・宮川裕章 写真・塩入正夫/

人物略歴 たにぐち・じろー 本名・谷口治郎(じろう)。漫画家。鳥取市出身、1947年8月14日生まれ(写真は、参考文献であふれる東京都内のアトリエで)

    −−「時代を駆ける:谷口ジロー/1 欧州へ日本の日常漫画」、『毎日新聞』2011年11月1日(火)付。

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時代を駆ける:谷口ジロー/2 漫画好きは漫画の道へ

 ◇JIRO TANIGUCHI

 《鳥取の洋服仕立て職人の家に生まれる。3人兄弟の三男。子供の頃から漫画が好きだった》

 小学生の頃は、「鉄腕アトム」や、親に連れられ見に行った映画のシーンなどを広告の紙の裏に描いてばかりいました。後に影響を受ける小津安二郎監督の映画も見ましたが、当時はまだ幼く、退屈に感じました。

 中学、高校では少年漫画誌に応募しようと描き始めるのですが根気が続かず、漫画家になりたいのだけれど、その方法も分からず、なれるわけがないと思っていました。

 《高校卒業後、漫画とは関係のない京都の会社に就職した》

 成長するにつれ、田舎から出たいと思うようになりました。就職したのはスカーフなどをデザインし、工場に発注して販売店に卸す会社。デザインの仕事ができると思ったのですが、入ってすぐの私の担当は商品の配達や発送ばかり。そんな時間を過ごす中、自分がどれだけ漫画が好きで、漫画を描きたいのかということに気づきました。

 その頃、東京の知り合いが、漫画家のアシスタントの仕事を紹介してくれました。当時、少年漫画を描いていた石川球太氏のところです。東京まで面接に行くと、「漫画を一本描いてきなさい」と言われました。今考えると、私がどこまで漫画が好きなのか試されたのだと思います。

 京都に帰り、仕事の後、3カ月かけて約30ページを描き上げました。主人公の侍が西部劇の時代の米国をさすらう筋書きの、今見ると恥ずかしくなるようなひどい絵の漫画ですが、夢中で描きました。

 《漫画を送ると石川氏に採用され、会社を辞め上京。ほかのアシスタント2人との4畳半一間の共同生活が始まる》

 これで好きなことができると思いました。不安より期待の方が大きかった。住み込みで給与は月3000円ぐらい。普通に考えると生活は苦しいのですが、毎日が新鮮で、何も大変だと感じませんでした。石川先生のもとで、漫画の描き方から売り込み方まで、すべてを学びました。結局、アシスタントは5年勤めて独立しました。やはり自分独自の作品を描きたくなったのです。

聞き手・宮川裕章/

人物略歴 たにぐち・じろー 漫画家。64歳(写真は小学3年生の1956年ごろ、古里の鳥取市で友人と。「当時漫画家になれると思っていなかった」=本人<左>提供)

    −−「時代を駆ける:谷口ジロー/2 漫画好きは漫画の道へ」、『毎日新聞』2011年11月2日(水)付。

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時代を駆ける:谷口ジロー/3 自分の新スタイル確立

 ◇JIRO TANIGUCHI

 《71年、24歳で「嗄(か)れた部屋」でデビュー。86〜97年に雑誌に連載した作家関川夏央氏との共作「『坊っちゃん』の時代」は、夏目漱石ら明治の文豪たちを描いた異色の作品で、手塚治虫文化賞を受賞。漫画家としての転機となった》

 関川氏とは駆け出しのころから一緒に仕事をしてきましたが、シナリオを渡された時、これは新しい漫画になる、でもこれまでの技術では表現できないのではないかと思いました。明治の時代感をどう表現すればいいのか。映画的な描写の細かさだけでなく、舞台劇のような雰囲気も重視しようと思いました。

 漫画を描く前には、古い建物を見たり図書館や博物館で資料を集めますが、写真や映像で見る明治の風景は薄暗く、重い感じがする。でも実際は、当時の空気は今より澄んでいたはずだし、今は古くなった建物も、当時は新しかった。人々が明るく前に進もうとしていた時代を暗く表現しない方がいいと思いました。

 技術的には絵の一部を黒く塗りつぶす「ベタ」という手法を減らしたり、手書きで斜線を引くところをスクリーントーン(漫画用の柄付きシール)で代用したり、描きながら試行錯誤を繰り返すうち、空気が澄み、絵の雰囲気が明るくなりました。今見ても、連載の中盤あたりから、自分の絵が変わってきているのが分かります。

 《関川氏は作品のあとがきで「自分は物語の精密な脚本を書き、谷口氏の才能と実力は、物語の速度、キャスティング、カメラワーク(構図)を含む「演出」に発揮される」と述べている》

 テンポ、速度も漫画の重要な要素です。その機微はせりふの分量、コマの大小などで表しますが、これは欧州の漫画にはあまり見られない日本の漫画の技術の一つです。「『坊っちゃん』の時代」では、普通の漫画よりテンポを緩めたり、ふと大きいコマで流れを止めて明治という時代を見せたり、いろいろ技法を試しました。シナリオ作家との共同作業は、自分で書く場合以上に潜在能力を引き出してくれます。この作品で自分の新しいスタイルを確立できた気がしました。

 聞き手・宮川裕章(写真も)/

人物略歴 たにぐち・じろー 漫画家。64歳(写真は作画。精密な筆致は欧州の漫画家の影響を受けた。丁寧に描くため1ページ完成させるのに3日かかることもある)

    −−「時代を駆ける:谷口ジロー/3 自分の新スタイル確立」、『毎日新聞』2011年11月3日(木)付。

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時代を駆ける:谷口ジロー/4 小津映画の面白さ知る

 ◇JIRO TANIGUCHI

 《普通の人の散歩、そこから見える風景を描いた「歩くひと」はせりふがほとんどなく、絵そのもので表現するスタイルを取った》

 この作品を描いたのはバブル末期の90年。日本中が忙しく走り回っている印象がありました。このままでは日本はだめになるのではないか。もっとゆっくりでいいのではないかと感じていました。人間は長い距離を走り続けることはできません。逆にゆっくり歩くことで、普段は見えなかったものが見えるのではないか。そんなメッセージを込めました。

 作中の主人公は私自身で、連れて歩く犬は、当時飼っていたサスケがモデルです。サスケと実際にゆっくり散歩すると、今まで見過ごしていた小さな路地や、名も知らない鳥、マンホールの蓋(ふた)の模様などが目に映り、新鮮な輝きを持ちました。

 描いた当初は「気持ちいいな」「きれいだな」というせりふを入れたのですが、編集者と話し合い、感嘆文や感情を表す形容詞をできるだけ省略しました。次第にせりふが減り、後半部分ではほとんどありません。こうなると、表情や背景が非常に重要になる。この作品から、背景を重要なキャラクターと考えるようになりました。

 《参考にしたのが小津安二郎の映画だった》

 子供の頃、あれだけ退屈だった小津映画でしたが、改めて見て、優れた表現力が分かりました。日常を淡々と描き、オーバーな表現はありませんが、演出が自然で、何気ないせりふや映像に現実感がある。こんなに面白い映画だったのかと。

 例えば「東京物語」には、田舎で母親が危篤になるシーンがあります。東京で電報を受けた子供たちは心配しながらも、「喪服を持っていった方がいいか」と相談する。この少し別の角度から見たような細部の演出。自然さと、何でもないようなところをしっかり描く大切さを、漫画にも生かせると思いました。

 結局、バブル期の日本人に向けたメッセージを込めた「歩くひと」でしたが、日本でそれほど評価されませんでした。しかし、後に、意外な国の人たちに注目されました。フランスでした。

 聞き手・宮川裕章 写真・塩入正夫/

人物略歴 たにぐち・じろー 漫画家。64歳(写真はアトリエ近くでの散歩。仕事は1日8時間。休日は妻と過ごす。「有名になろうとも思わない。ゆったり描きたい」)

    −−「時代を駆ける:谷口ジロー/4 小津映画の面白さ知る」、『毎日新聞』2011年11月5日(土)付。

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時代を駆ける:谷口ジロー/5 仏で予想外の高評価

 ◇JIRO TANIGUCHI

 《91年、初めてフランスを訪れた》

 仏西部のアングレームで毎年行われる世界最大級の漫画イベント「アングレーム国際漫画祭」に日本の出版社の企画で参加しました。世界中の出版社、漫画家が集まるイベントで、その年は日本を特集する「日本年」でした。そこでフランスの出版社から「日本の漫画をフランスの読者に紹介したいのだが、誰かいないか」と日本の出版社に声がかかったそうです。

 せりふがほとんどないのが、翻訳が楽で良かったのかもしれません。何人かの作品の中から、私がそのころ描いた「歩くひと」が選ばれ、翻訳出版が決まりました。

 すると、日本ではほとんど話題にならなかった作品が、フランスで「詩のようだ」とか「音楽が聞こえてくる」などと予想もしなかった評価をされ始めました。

 《当時フランスでは既に日本のテレビアニメや少年向け漫画が流入し、一部で過剰な暴力シーンが批判を受けていた》

 「歩くひと」のフランスの読者から「こんな漫画は見たことない」と言われましたが、肯定的な響きがありました。当時批判された日本の漫画にも、こんなジャンルもあるのだ、幅広さを知ってもらえたのだと思います。私自身、この作品で初めて普通の人の日常を描くことができ、またそれが遠く離れたフランスで評価されたことは自信になりました。 そしてこの漫画祭で大きかったのは、出版社を介し、20代の頃から尊敬する仏漫画界の巨匠・メビウス氏と出会ったことです。日本での手塚治虫氏のような存在。私が緊張しながら自分の作品を手渡すと、ページをめくり「すごい」と褒めてくれました。社交辞令だったのでしょうが、とてもうれしく思いました。

 漫画祭は、漫画家同士や漫画家と読者が直接触れ合う場を提供し、日本にはないものでした。作品はどれも手作りの感触のある絵本のような仕上がりで、うらやましくも感じました。この漫画祭をきっかけに、私の仏漫画界での人脈は広がりました。ただ、数年後、メビウス氏の原作で漫画を描くことになるとは、想像がつきませんでした。

 聞き手・宮川裕章/

人物略歴 たにぐち・じろー 漫画家。64歳(写真は1991年1月、仏アングレーム国際漫画祭で。憧れる仏漫画界の巨匠・メビウス氏と会う=本人<左>提供)

    「時代を駆ける:谷口ジロー/5 仏で予想外の高評価」、『毎日新聞』2011年11月8日(火)付。

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時代を駆ける:谷口ジロー/6 古里の温かさは一緒

 ◇JIRO TANIGUCHI

 《93年ごろ、久しぶりの帰省で古里のありがたさを痛感した》

 末っ子の気楽さからか就職以来、鳥取市内の実家にはあまり帰りませんでした。旧友からの誘いで15年ぶりに帰省すると、古里の町は、思ったほど変わっていませんでした。長く帰らなかったことに後ろめたさを感じていましたが、家族、親戚、友人みんなが温かく迎えてくれ、久松山(きゅうしょうざん)から鳥取の町を見渡した時、帰る場所がある喜びがこみ上げました。仕事に追われ、古里のぬくもりを忘れ、変わったのは自分だったと感じました。

 94年、「父の暦」という作品を描きました。父の通夜で鳥取に帰省した主人公が、周囲の人からの話で生前の父の悩み、家族への愛情に初めて気づく物語です。私が4歳の時、市街地の大半を焼いた「鳥取大火」や、焼け跡でのバラック暮らしなど、記憶をたどって場面を設定し、地元の図書館にも協力してもらい、資料を参照しながら町並みを再現しました。物語は架空ですが、父の悩みに気づかない主人公を描いた背景には、私の父の存在があります。父は黙々と働く洋服仕立て職人でしたが、若い頃画家になりたかったそうです。家庭の事情で断念したことを、私も大人になるまで知りませんでした。

 そして父が画家の道を選んでいたらどうなっていただろう、と想像しながら描いたのが、48歳の主人公が青春を再体験する「遥(はる)かな町へ」でした。舞台はやはり鳥取で、古里を描くことが私にとっての恩返しでした。

 《その後、地元鳥取市では「父の暦」の読書感想文コンクールが開かれ、映画化の運動も起きている。また両作品は翻訳され、仏アングレーム国際漫画祭ベストシナリオ賞などを受賞した》

 田舎がある幸せをあらためて思います。また二つの作品とも日本の地方が舞台で、登場人物も普通の家族。欧州の読者は意識しませんでした。それでも欧州で共感が得られるのならば、それは共通の価値観、感性があるからだと思います。古里の鳥取、遠く離れたフランス、欧州に自分の作品を理解してくれる人がいることを、本当にありがたく思います。

 聞き手・宮川裕章/

人物略歴 たにぐち・じろー 漫画家。64歳。映画化された自作が昨年フランスで公開、特別出演する(写真は09年6月、仏リヨンのロケ現場で=本人提供)

    −−「時代を駆ける:谷口ジロー/6 古里の温かさは一緒」、『毎日新聞』2011年11月9日(水)付。

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時代を駆ける:谷口ジロー/7 日仏漫画に技法の差

 ◇JIRO TANIGUCHI

 《アングレーム国際漫画祭での出会いから6年後の97年、尊敬する仏漫画家・メビウス氏との合作が実現する》

 「イカル」という空を飛ぶ能力を持った主人公を描くメビウス氏のシナリオを、日本人の漫画家が描き、日仏両言語で出版する企画で、メビウス氏が何人かの日本人漫画家の中から私を選んでくれたようです。

 尊敬する漫画家との合作は重圧を感じましたが、作業は想像以上に難航しました。大きなハードルとなったのが日仏の技法の差でした。1コマあたりのせりふの量がフランスの漫画は日本よりはるかに多く、例えば日本で30コマ分のせりふをフランスは15コマで表現します。これでは詰め込みすぎで日本人の感覚ではリズムが出ません。メビウス氏のシナリオが求める細かい状況説明は、そのままでは長いので、できるだけ絵で表現するよう心がけ、せりふを大幅に省略しました。

 《技法の差の背景に、両国の漫画文化の差がある》

 日本の漫画が雑誌への掲載が中心の「読み捨て文化」なのに対し、フランスには漫画雑誌がほとんどなく、読み切りで比較的高価なカラー版単行本が中心です。日本の漫画家が締め切りに追われながら、白黒で多くのページ数をかけ表現するのに対し、締め切りの緩やかなフランスでは丹念に一コマ一コマを描くのですが、情報を凝縮させます。フランスの方がじっくりと描きたい絵を自由に描き、作品に漫画家の意図を込めやすいと思う半面、日本のように雑誌編集者の意見が反映されない分、読者のニーズに鈍感になりがちで、また作品に芸術的要素が多くなるため難解になる恐れもあると思います。

 また、フランスの漫画家のペースで日本で描いていては生活が苦しいかもしれません。一長一短があると思います。

 結局「イカル」は大満足とはいかないまでも、とりあえず納得できる出来になりました。メビウス氏は「まだまだあなたは原作者の私に遠慮している。もっと自由に描いてもよかったのに」と感想を言いましたが、当時の私としては、それが精いっぱいの仕事でした。

 聞き手・宮川裕章/

 人物略歴 たにぐち・じろー 鳥取市出身。64歳。今やフランスで最も著名な「マンガカ」の一人(写真は09年6月、パリの友人のアトリエで=本人提供)

    −−「時代を駆ける:谷口ジロー/7 日仏漫画に技法の差」、『毎日新聞』2011年11月10日(木)付。

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時代を駆ける:谷口ジロー/8 虚実のバランスの魅力

 ◇JIRO TANIGUCHI

 《一昨年、フランスのダウン症の女の子と家族の苦悩、再生の物語「私の一年」を描いた。仏作家のシナリオで、仏語圏のみで出版される作品を、日本の漫画家が描くのは異例だ》

 フランスの出版社から打診があった時、難しいテーマで、どこまで描けるか不安でした。でも難しいからこそ描きたい、伝えたいと思いました。

 物語は北部ランスに住む家族が西部ノルマンディー地方の別荘に行くシーンから始まります。当然、町並みや樹木、海岸線など風景が日本と異なるうえ、食事中の手の置き場所や、親戚、家族同士の距離感など、文化、風習を知らなければ描けません。原作者から話を聞き、現地を歩き、写真を撮り、障害者施設も訪ねました。でも障害をどう描くのかという難題に直面しました。

 漫画というのは、フィクションを混ぜないと読みにくくなり成立しません。そこを「間違いだ」と言われると描けなくなる。施設で出会った子供たちは人懐っこく、とても愛らしく見えたので、その雰囲気を絵で表現しようとしました。

 だが作品が出来上がると「容姿が現実とは違う」「一目で障害があると分からない」という批判を受けました。また、話をスムーズに進めるため、主人公の女の子が気持ちを表現するモノローグ(独白)の場面では、たどたどしいものの普通に話ができる設定にしたのですが、現実は違うという意見もありました。

 障害を持つ子供の家族から見ると、その現実をありのままに描いてほしいという思いがあったのでしょうが、私はその現実を、できるだけ多くの人に分かりやすく伝えたかったのです。

 《一方で現地取材では、フランスの施設が地域に溶け込むための努力や、地域ぐるみで施設を支援する様子を実感したが、描かなかった》

 社会性を前面に出すと物語が重くなり、リズムよく読み進めなくなることもあるのです。漫画には読みやすさと正確性などのバランスが求められます。答えのなかなか出ない問いですが、そこを苦心しながら乗り越えていくのも漫画の魅力のひとつかもしれません。 聞き手・宮川裕章/火〜土曜日掲載です

人物略歴 たにぐち・じろー 漫画家。64歳。「日仏の文化の懸け橋になれるのならなりたい」(写真は09年6月、パリの書店で自らの作品を前に=本人提供)

    −−「時代を駆ける:谷口ジロー/8 虚実のバランスの魅力」、『毎日新聞』2011年11月11日(金)付。

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時代を駆ける:谷口ジロー/9止 これまでにない漫画を

 ◇JIRO TANIGUCHI

 《漫画家を目指して上京した時、ここまで続けられると思わなかった》

 私の漫画は描写が細かく手がかかるので割に合わないと言われます。今までそれほどのヒット作もありません。それでも読み捨ての一過性ではなく、単行本をずっと大事に持ってくれる読者が世界にいることを知り、この方法で間違っていなかったと思うし、このように描き続けられる環境に本当に感謝しています。

 自分自身の納得の仕方として、これまでにない漫画を描きたいという気持ちが常にあります。地味だと言われても、ヒット作にならなくても、許される限り、ほかの人が描かないようなジャンルを切り開きたい。

 これまで描き続けてきたことで少しずつ表現の幅が広がり、異なる種類の漫画を描きながら、興味の対象も広がりました。同じ本を読んでも映画を見ても、以前は見過ごしていた部分に新しい発見をすることがある。そこをヒントにまた新しい作品を描きたい。

 《次はフランスの日常を日本に伝えたい》

 最近描いた「ふらり」は、江戸時代の測量家をモデルにした人物が江戸の街を歩く話で、行き交う人々とのやり取りや街の風情を楽しんでもらおうという作品です。作中ではアリや鳥、トンボの視点からの風景を、江戸時代の資料や明治の写真を基に再現しました。構図、視点の面白さを出そうという試みです。

 今度は、このフランス版を描きたいと考えています。さまざまな構図、視点でとらえるパリの町並みの中、日本人の主人公が歩き、道に迷い、フランス人とふれあう。その漫画で、フランス人の日常生活を紹介したいと思っています。日本の漫画は今ではフランスに浸透し、日本の日常生活を漫画を通して知るフランス人は多い。それに比べフランスの日常生活を描いた漫画は日本であまり出ていないと感じます。そこを広げていきたい。

 私は漫画を小説と映画の中間と位置づけています。絵と文の両方で多くのものを描ける力強い表現法です。できるだけ多くの人に、その魅力を伝え続けていきたいと思っています。=谷口さんの項おわり

聞き手・宮川裕章 写真・塩入正夫/

 人物略歴 たにぐち・じろー 漫画家。鳥取市出身。64歳。今年7月、仏政府から芸術文化勲章受章。「漫画に限界はないと思う。哲学だって描けるかもしれない」

    −−「時代を駆ける:谷口ジロー/9止 これまでにない漫画を」、『毎日新聞』2011年11月12日(土)付。